2019年2月7日

保団連結成50年-社会保障と平和守り国民医療担う矜持胸に

(愛知保険医新聞2019年2月5日号)

50年前の1969年1月、「保険医の生活と権利を守る」とともに「国民医療の充実と向上をはかる」ことを目的に全国保険医団体連合会(以下、保団連)が結成された。当時すでに自民党政権は、日本国憲法の具現である国民皆保険制度を骨抜きにしようと、「保険主義」「受益者負担」の名の下に低医療費政策の推進、患者受診の抑制を企図したのだ。その中で、保団連は結成当時から患者・被保険者・国民との連携・共同を医科歯科一体で追求したことは、驚嘆に値する。
結成までの道のりを「保団連結成総会宣言」から引用する。「かえりみれば昭和23、24年、国民の健康を守るため、大阪、京都、愛知に保険医協会が誕生し、(中略)各団体は国民医療を守る立場から、保険医の生活、権利の擁護のために活発な活動を展開し、不当な審査、監査の排除、制限診療撤廃、医療内容向上、診療報酬引き上げ、医業課税の軽減等の運動に精力的に活動を続け、着実に組織と会員を拡大してきた。(中略)わが連合会は各地保険医団体の自主性を尊重しつつ一層強固な団結を図り、1万会員の要望に応えるとともに、進んで広範なる全国6万の保険医を結集し、患者、被保険者、友誼団体の期待に添うべく蓄積した経験と不屈の闘志をもって、さらに力強く前進することを誓う。」戦前の富国強兵政策の一環としての医療が、戦後は現憲法の下で国民の生活と健康を守り育む医療へと変わるわけだが、その実現への道は決して平坦ではなく、先人たちの努力と奮闘の賜物であることが分かる。
70年代の相次ぐ医療・社会保障改悪の動きは国民的運動で押し返してきたが、80年代に入ると土光臨調とも呼ばれる「増税なき財政再建」や「医療費亡国論」が吹き荒れ、あらゆる面で後退が始まった。開業医としてどう生きるかが切実に問われる中、1989年改めて診療に対する基本姿勢だけでなく、患者、地域、社会に対する医療人としての立ち位置の表明である「開業医宣言」を採択した。我々が国民医療を担っているという矜持を持ち、原発や戦争など命と健康を脅かすものは絶対に許さないという意思表明をしたのだ。
今、保団連は「社会保障と平和を守る勢力が国会で多数を占める」ことを目指し、社会保障と憲法を守る運動を一体で攻勢的に進めている。先人たちが勝ち取ってきた医療・社会保障を、この21世紀に大きく花開かせるために。

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