55年

愛知保険医新聞2023年7月25日号掲載

昭和区 板津慶幸

南生協病院での外科診療を46年間やってきましたが、この3月で終了して健診業務だけとしました。先の当院の医局会で「外科46年」の話をしましたので、これを元に思いつくままに述べます。

1976年に病院を建設して外科も創設するということで名大小児外科を飛び出しました。外科を初めからつくりあげてゆくことは大変なことでコッヘル一本、ペアン一本からはじめました。外科方針は①断らない救急、②がん手術、③頻発疾患を柱として安全で適確な手術を目指しました。
その為には患者との共同を重視してインフォームドコンセントのもと癌告知を最初から実践しましたが、まだ一般的には行われていませんでした。そうした中から、当時他ではみられなかった乳がん患者会が生まれて、その要望から緩和ケア病棟が名古屋市内第一号として誕生しました。患者達の医療を動かす力には敬服です。これこそが医療というものでしょう。

当時は救急受け入れ病院が少なくて、かなりの重傷の患者さんにも対応したので〝働き方改革〟なんて言っていられない勤務でした。こういう実態とかリスクが多い科として最近は外科を希望する医師が減少しており十年後が危惧されています。
外科は何と言ってもオペであり、順調な結果をもってお互いに喜びあえるというのが最大の特徴であり、その為には納得のもと信頼関係を築くことが第一です。外科医の心がけとして<メス持つものはより心優しく><ナースにも判る手術>を大切にしてきましたし、術後の朝一番に患者の顔を見にいきましたが、「これで本当に安心した」と患者さんがいまだに言ってくれます。

この46年間で最も評判がよかったのは小児そけいヘルニアの日帰り手術&母児同伴麻酔導入でした。当時他院ではほとんど実施されていませんでしたが、母親の負担が少なく喜んでもらえました。
現代の手術は鏡視下がほとんどとなり、進歩をとげました。ですが我々の時代の様に、メス一本で切れるように使ったり、切れない様に使って層を展開していったりという醍醐味はなくなった、というのは旧い人間。

私は55年間の外科医をやり切ったことに感謝しています。

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