愛知保険医新聞2022年07月25日号掲載
みよし市 市原 透
私は、昨年六月末をもって昭和六十三年から勤めた国立病院を退職し、十九年もの長い単身赴任生活から解放された。今は、医師不足に苦しむ名古屋近郊の小さな公立病院の、総合診療医として再出発した。
どんな病気が潜んでいるのか判らない初診患者を診ることは、経験と勘を頼りに証拠固めをして、真犯人に迫る刑事の捜査に似ている。その結果、病因の特定につながれば、「してやったり」と、まさに医師としての醍醐味を味わうことができる。思いもよらない疾患に遭遇することもあり、毎日が興奮の連続である。
国立病院時代、救急医療や当直、外来で多くの経験を積んだことや、あらゆる分野の診療科での講演会に積極的に出席して得た知識は今に生きている。
昨夏から二日/週コロナ外来を担当している。東京オリンピック後や変異株によるコロナ旋風においては、猛暑あるいは寒中にも関わらず防護服を着て奮闘する医療スタッフが、ドライブスルーでトリアージした多数のコロナ陽性患者をガラス越しに診療した。
また、老人ホームへの往診や在宅患者の往診などもこの小さな公立病院が担う重要な役割であり、新鮮で学ぶことが多い体験である。
令和元年秋、山形市で全国医師会勤務医部会連絡協議会が開催され「生涯現役~勤務医定年後の明るい未来~」と題したシンポジウムが企画された。医師不足に悩む地域医療に、シニア世代医師を活用するべきであるという内容のテーマであった。
我々の時代と比較して、現在の医学部入学定員は倍以上になった。しかし一向に医師の不足感が解消されず、今般のコロナ禍はそれを増幅し、改めて医療のひっ迫を世間に知らしめた。
専門化・細分化の行き過ぎによる弊害がその理由ではないかとのことであった。従って、何でも診る(いや診ようとする)医師が必要である、との結論に至った。
我々のような定年前後やそれ以前の世代の医師は、専門を問わず様々な診療科の疾患を診療してきたので、ゲートキーパーとして総合診療への抵抗感はない。フランスの医療計画でも、健康危機管理時の対応に現役または退職後五年未満の医師を活用する予備役制度があると仄聞する。
幸いにも健康に恵まれ、現役としてまだまだ人の役に立てるという喜びを感じている。老害と言われぬよう、幾つになっても勉強だと患者さんを師と仰ぎながら、日々の研鑽に努めている毎日である。