2006年2月25日

世界中 九条持つ日がきっとくる

あいち医師・歯科医師九条の会よびかけ人
愛知県保険医協会理事長  堀尾 仁

   改憲が現実味をおびて来た。改憲を前提とした国民投票法が論議されている。改憲論者の第一最大の目標は第九条の改変であることは、自民党の改憲案(第1次)をみても明らかである。九条二項を変えて軍隊を保持し、再び戦争の出来る国にする事にある。周知の様に、第九条は我が国で200万人、アジアでは2000万人の犠牲者をだしたあの大戦のあと、二度とこの様な悲惨な戦争をしないという深刻な反省の上につくられた。あの大戦を体験した大部分の人は、これで再びあの悪夢の様な事態は避けられると胸を撫で下したものだ。だが戦後60年がたってみると、戦争の体験者も高齢化し数も大分減ってしまった。果してあの悲惨な体験が若い世代に伝っているだろうか。戦争を知らない世代が、その深刻さ、悲惨さ、恐しさが理解出来ず、安易に現実に妥協してしまうのでは、と心配である。

 軽やかなタッチで殺す電子戦
 死屍累々そんな画面は写さない
 戦争の生放送がゲームめき
 スカッド対パトリオットのゲームです


 川柳子も戦争をゲームの様に伝える報道を案じている。戦争の実態はゲームどころではない。
多くの人の人生に重大なダメージを与えるのが戦争だ。戦中(昭和12年頃)、言論、思想弾圧の激しい中で、戦争の現実を川柳にした剛の者がいた。鶴彬である。以下その作品を少々紹介する。

 万歳とあげて行った手を大陸において来た
 手と足をもいだ丸太にしてかえし
 胎内の動きを知るころ骨(こつ)がつき
 出征の門標があってがらんどうの小店
 稼ぎ手を殺し勲章でだますなり


 昭和12年、反戦活動をした事で検挙され翌13年拷問などをうけ獄中死した。29才であった。戦争は最大の人権侵害である。戦争の被害者は兵ばかりではない。今では一番多く殺されるのは一般市民である。しかも弱い者程被害が大きい。「よい戦争、悪い平和なんてあったためしがない」(フランクリン)のだ。小生の父も3度召集され、3度目は名古屋の病院におり、名古屋空襲を目のあたりにしている。その手記の一部を。
 「上空からヒューと唸る音がしたかと思ったら途端に轟然たる音がして瞬間に土砂煙がザァーと屋根に降りかゝって来た(中略)目標をそれた中型爆弾であった。(中略)それから30分程して負傷者が担架で続々運ばれてきた。殆んどが15、6才の勤労奉仕の女子学徒であった。逃げまどう中を直撃弾を受け阿鼻叫喚の修羅場と化して死者累々とした惨状になったと護送者が話してくれた。(中略)数日後手足を切断しなければならぬものも数人あった。うら若い女性が手足を切断されることがどんな残酷であるか考える余裕もない時局であった」
 そんな悲惨な道へ逆戻りさせようとするのが第九条の改変だ。川柳子も矢張り大変心配している。

 九条の垣根が邪魔とハチにいい
 自主憲法 軍国日本のDNA
 憲法にも ついに刺客がやってくる
 もしかして 今は戦前かも知れず
 戦争の 恐さ惨めさ知らぬ人
 若者よ 黙すと徴兵されちゃうよ


 しかし九条は世界に誇る日本の宝として、これを世界に広めたいと願っている人もまだまだ多い。そんな人達の素直な気持を大きく結集させること、それが今一番必要な事と思う。

 憲法を 世界遺産にして守る
 モッタイナイ 第九条をこわしたら
 戦死者は 一人も出さぬ第九条
 これからも 戦争しない国でいゝ
 九条に欲しい ノーベル平和賞


(安城市・開業)

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