2020年3月27日

安倍改憲阻止が使命

北区 浅海 嘉夫
物心ついた頃には、私の周りは戦後を終え、経済成長へと進み、折しも新幹線、東京オリンピックで、何もかもがバラ色に彩られていました。坂本九、グループサウンズ、ビートルズなど新しい時代の風が吹いていたのです。一方、4人兄弟の長男ということもあり、父親からは厳しくしつけられ、何かいい加減なことをしようものなら、「足を開け、歯を食いしばれ」の号令のもと、思いっきり平手ビンタを受けたものでした。
父は幼少期に中国大連市に移り、太平洋戦争での日本の戦況に陰りがみられた16歳の時、帝国海軍予科練に志願しました。仲間が次々四国松山航空基地から神風特攻隊として沖縄戦に出撃するなか、日本は敗戦を迎えたのです。戦後の動乱、価値観の激変、新しい憲法と戦後民主主義の波。いくつかの会社、GHQ、駐留米軍基地に勤めることとなった父にもそんな波が押し寄せました。労働運動を経て、名古屋の土地で中小企業の事業に加わることになりました。旧制中学しか出ていない父から、企業経営の難しさ、経営者の在り方などはよく聞かされたものですが、平和については稀に聞くだけでした。
そんな私自身が憲法、九条、平和などに気が付き始めたのは、やはり多感な高校、大学時代だったと思います。自治会役員をする中で安保条約のこと、原水爆被災者のことなどを知るようになりました。子供たちにも戦争を二度と起こさないこと、憲法、平和が大事であることを話してはきましたが、実は一番よく話していたのは父母でした。
「おじいちゃんが若い時はやりたいことが何にもできなかった。平和が一番」「おばあちゃんは、毎日授業は畑で芋作り」
そんな風に育った長女の娘の名は和葉、次女の息子の名は和樹。憲法九条、平和主義は世界に誇るものです。世界遺産に匹敵しますが、まず目の前の安倍改憲を阻止することが、自分たちの使命と、昨今常々かみしめる毎日です。

ページ
トップ