2020年4月26日

戦争をしない国のままで

名東区 佐貫 真木子
私は1952年生まれ、まだ戦後の貧しさを感じる幼年期だった。白い服の傷痍軍人がアコーディオンを弾き物乞いする姿が物悲しかったし、6歳上の姉からはひもじかった幼少期の話をよく聞いた。私はひもじさに無縁だったが、遊び道具を買うまでの余裕はなく草摘みとか包み紙やボロ布の工作などが遊びだった。そんな私の何よりの楽しみは家にある本を読むことだった。童話など夢見心地になる本も大好きだったが、印象的なのはつづり方兄妹、原爆の子、東京大空襲などの戦中戦後の辛い時期を過ごした子どもたちを描いた本だった。戦争の怖さが心にしみこんできた。だから小学校の社会で憲法を習った時は感動した。9条があるからもう日本は戦争をしない、もうあの子たちのような辛い思いをしなくていいのだと。
研修医そして子育てと曲がりなりにも医師を続けるのに精いっぱい、社会情勢に目を向ける余裕がないまま日本は9条を持つ非戦の国と信じていたのに、9・11で変わった。米大統領がテロリストへの報復としてアフガニスタンを空爆すると高らかに宣言する姿を見たのだ。東京大空襲で逃げ惑う日本の子どもたちが目に浮かび、アフガニスタンの罪もない市民や子どもたちが同じ目に遭う様子を想像し涙が出てきた。慌てて新聞やテレビを見ると大統領を支持する記事や番組ばかり。私がおかしいのかと気が変になりそうだった。それから他の情報も探し、この流れのほうがおかしい、やっぱり戦争はいかんと何とか心が落ち着いた。が、日本がだんだん戦争のできる国に変わっていくのに気づき、これが衝撃だった。その後イラク自衛隊派兵、軍事研究への肩入れ、高額武器購入、極めつけの安保法制と、どんどん戦争が近づいてくる。
何とか歯止めをしなくては。改憲したがる恐い政権へNOを突き付けたい。子どもの時、なぜ大人たちは戦争に反対してくれなかったのか、牢屋に入れられる時代だったからかと思ったが、今なら戦争反対を唱えても捕まらない。そのうち捕まるようになるかもしれないが、それでも自分に正直な声を出し続けたい。

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