刈谷市 田中 東平
日本国憲法の前文に「自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意し」が謳われている。1947年8月2日に文部省から中学生の教材として発行された「あたらしい憲法のはなし」には、「兵隊も軍艦も飛行機も、およそ戦争をするためのものは、いっさいもたないということです。(中略)戦争によって相手をまかして、じぶんのいいぶんをとおそうとしないということをきめたのです」と明確に武力の放棄、戦争や紛争の解決のための武力行使の放棄を宣言したと記している。
しかし、朝鮮戦争の勃発により1950年に警察予備隊が1954年に自衛隊の成立で憲法九条はなし崩しにされたが、他国との武力衝突を抑制する役目を果たしてきた。
1960年以後のアジア地域に限定しても、米、中、旧ソ、露、インド、南北朝鮮、ベトナム、カンボジア、タイ、パキスタンなどが国際紛争で武力行使をしている。日本は前記の国々には無い「憲法九条」の効力で国際問題は話し合いで解決する方針を堅持してきたため武力衝突を回避でき、多くの人命や文化・経済的資産を失わないできた。南京虐殺事件、731部隊人体実験、従軍慰安婦などに対して、国際的にも史実とされている戦時中の事柄を史実として認めない右翼陣営が憲法九六条の改正を足掛かりに、憲法九条を廃止して武力行使を対外的だけでなく自国民にも向けることが出来るように憲法を改悪しようとしている。戦争をすれば勝敗に関係なく犠牲となるのは一般国民で、為政者や経済界の大物の子弟等の多くは戦闘行為から免れ、死傷した者が殆どいなかったことは先の大戦でも明らかである。戦争をすれば結果に関係なく、戦争に関与した国民の間にも長年に渡り憎しみが残り戦利以上の損失が生まれる。
一方、他国からの侵略防止に戦力の充実が不可欠という保守陣営の意見があるが、これは冷戦時代の核兵器競争と同じ思考で、互いの疑心暗鬼を増し、際限の無い軍事力の増強となり国民生活への負担と軍部の意見が強大化し、議会政治を死滅させた時代を思い起こさせる。
憲法九条は、真の意味で「ホモサピエンス」を自称する人類が「理性的な思考を行う知性人」であることを裏付けるものと考える。平和な国際関係の維持は人類の幸福と繁栄の源で有り、憲法九条は、大日本帝国憲法下で戦争に明け暮れた国民にとって不幸な時代に逆戻りしないためにも守らなければならない。国家の最大の役割は、国際間の諸問題を平和裏に解決し、互いの武力行使を回避し属する大多数の国民の幸福を維持することと考える。返す返す惜しむらくは、九条を憲法一条にしなかったことである。
2013年7月6日