2013年6月27日

守るべき憲法九条

中区 浅野 晴義
昨年安倍政権が誕生してから、歴史の過ちを反省しない政治家達がなにかと勢力を強め、原発再稼働を狙う動きとともに、憲法を変えて日本を再び戦争に参加出来る国にしようとする動きも慌ただしくなってきたようである。
最近の安倍政権の動きからすると、過去の戦争への反省もなく、靖国神社詣でも何が悪い、といった開き直り的言動が目立つ。
明治八年、日本の戦艦雲陽号が韓国仁川沖の要塞江華島を攻撃し、韓国にとって今の沖縄と米軍の関係のような屈辱的な仁川条約を結んだのが日本帝国主義の始まりであった。
その後、朝鮮併合、日清日露の戦いから、満州事変日支事変と進み、最後には第二次世界大戦と広がってしまった。昭和二十年八月に日本は世界最初の原爆攻撃を受けて降伏したのであった。この間、日本人の悲劇ばかりでなく、中国やフィリピン、その他の国々で加害者となった日本軍の責任も、戦争だから仕方なかったとは決していえたものではない。
昭和二十年の八月十五日に敗戦の日を迎え、眩しい夏の太陽の明るさに救われた思いを感じたのは、殆どすべての国民だったと思われる。
二度と戦争をしない国として日本の繁栄を目指すというのは、当時の日本人共通の願いであった。
あの日から六十年以上も経つと、亡霊のような輩が現れてくる。
暴走老人と呼ばれて、まんざらでもない感覚の前東京都知事などは、臆面もなく「核兵器を持たないから日本はシナに馬鹿にされるのだ」などと暴言を続けている。こうした輩に日本民族の未来を任せてはならないのである。
今春に、靖国神社参拝を行った国会議員は、自民党員を始めとして百六十三名の数であったという。
私達は、血を流す思いで手にした憲法九条を守りぬけないとしたら、後に続く将来の子供達に、どのような申し開きが出来るのであろうか。

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