2006年7月25日

非戦は最大の一次予防

名古屋大学名誉教授 戸田安士氏に聞く
― 聞き手は徳田副理事長

   ―「九条の会」のアピールに賛同した思いは。
 日本国憲法九条は、第一次・二次の世界大戦を経て、もう戦争はやめようというグローバルコンセンサスを、国連に参加した国々のもとで、最も正確に表現した世界の総意だったと思います。アメリカからの押しつけ憲法だという声がありますが、その当時を知っている者の一人として、国民は主体的に受け止めたものだと理解しています。その意味で、九条は日本の誇るべき宝であるのみならず、世界の良心であると思います。

 私の中の2つの刻印
 日本の敗戦の時は、中学2年生で、半田の中島航空機製作所に学徒動員されていました。敗戦の前年、忘れもしない12月7日、東南海大地震が起こりました。その時、私は川のほとりを歩いていました。丁度その時、軍隊が橋の上を渡っていました。私が道の上でも立っていられなかった位なので、橋の上の兵隊たちは勿論転びました。
 地震がおさまった直後に何が起こったか。隊長が「一列に並べ」と号令をかけ、「天皇陛下から戴いた銃を投げ出すとは何事だ」と言って、兵隊たちを死ぬほど殴りました。
 ぶん殴られるのは慣れっこでしたが、さすがにこの場面には驚かされました。
 それまでの自分は軍国少年で、国のために命を捧げようと思っていましたが、敗戦でそれまで使っていた教科書の一番重要だと教えられた個所に墨を塗らされ、あの戦争が侵略戦争だったと知り、自分が信じ込まされてきたことはこんなばかげたことだったのかと思いました。
 これからは、国が滅びようと社会がどうなろうとも変わらない価値のために生きていきたい、と痛切に思うようになりました。生きる意味を求めて、西田幾多郎や内村鑑三などの本に接しながら精神的彷徨を続け、聖書に出会い、宗教者としての今日に至っています。
 その間、正義を一番明確に示してくれるものとして法律の道を考えました。その当時極東国際法廷があり、日本の戦争犯罪は裁かれて当然と思いましたが、裁いている人は大丈夫なのか、という疑問に突き当たりました。“勝てば官軍”的な勝者の論理で、そこには絶対的な正義はないと感じたわけです。そこで医学の道にたどり着いたのです。国が敗れようが社会が変わろうが変わりようがない真理があると。
 もう一つ、私の中で終生消しがたい心の傷があります。それは、技術者ではありましたが、父は朝鮮総督府の役人で、朝鮮を植民地支配した行政機関の給料で自分が養われてきたということは、心に深い刻印になっています。

 ―医療人として賛同の輪を広げる上で先生のメッセージは。
 一医療人としてこれに賛同するのは、「いやし」の業に携わる者のごく自然の感情であり、行動であると思うからです。とりわけ、現代医療では健康の一次予防の重要性が共通の認識になっている状況で、非戦は最大の一次予防です。それはかつての戦争を経験した世代として(即ち二次・三次予防のむなしさを知る者として)特に強調しなくてはならない事柄だと思います。

 ―憲法改定の動きについて、どう見ていますか。
 憲法改正を、戦後60年経たからとか、軍隊を持たない国はないとか、ましてや強者の押しつけであったからといった本質的でない理由で、まず改憲ありきから出発するのを苦々しく思っています。改憲がいけないとは思いませんが、それにはまず現行憲法の60年の評価があるべきであり、そして時間をかけて国民的コンセンサスを醸成する手続きがとられるべきものと思います。
 国会に教育基本法改正案がかけられていますが、現行の法律は「われらは、さきに、日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである」と前文で謳っているとおり、憲法と一体のものです。憲法も教育基本法もその基本は、権力に対する制約だと思うのですが、現在出されている改正案は国民の統制が基本となっており、権力の暴走への歯止めがなくなることを危惧します。

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