2006年7月15日

熱田空襲の地元で

熱田区・ちとせ九条の会  橋詰 義幸

   私の暮らす熱田区の千年学区で5月27日、約30人が参加して「ちとせ九条の会発足の会」が開かれ、熱田区内最初の学区単位の九条の会となる「ちとせ九条の会」が結成された。学区の若者がデザインした「九条」ステッカー(右)と、参加者に配られた携帯ストラップ(左)
 千年学区は、戦前軍需工場であった愛知航空機の工場群があり、太平洋戦争末期の1945年6月9日には、米軍B29爆撃機による8分間の爆撃で、2000人を超える死者が出た熱田空襲の舞台ともなった。
 開会のあいさつで、勤労学徒として働いていた愛知航空機で熱田空襲の際に爆撃で負傷された世話人の1人は、改めて地元の戦跡を回り、千年八幡社にある慰霊の碑文を紹介された。「『第二次世界大戦終結間近の昭和20年6月9日当千年を襲った大空襲により罪なき数十名の被災者が爆死される。戦争の残酷さを憎み永遠の平和を願いしこの人柱となられた方々の冥福を祈りつつ碑を建つ』との碑文と、48人の熱田空襲での爆死者の氏名が記されており、その隣の忠魂碑には、日露戦争・満州事変・第2次世界大戦での93名の戦死者の氏名が刻印されており、141名の直接の戦争犠牲者を出しているが、二度と戦死者を出すような世の中にしてはならない」と挨拶。
 講演した「あいち九条の会」の呼びかけ人でもある地元在住の高木輝雄弁護士は「憲法九条の改悪をめぐる状況」と題して、日本国憲法の誕生について、憲法を変えようとする現在の動きについて詳しく話された。
 近所の患者さんからは「当時商船学校に入学が決まっていたにもかかわらず、戦場に駆り立てる担任教師の言葉で進学をあきらめ海軍の幼年兵になった。あの時と同じような時代になりつつある。是非とも九条の会の輪を広げなければならない」と発言された。
 私を含め7名の世話人と憲法九条を守るための活動を千年学区内で広げることを目的に申し合わせ事項が確認された。
 帰りの際には、世話人でもある主婦が作った「九条」携帯ストラップが参加した賛同者にプレゼントされた。
その後、学区内に呼びかける際に使おうと、地元の若者がデザインした「九条」ステッカーが作られ活用されている。
 草の根の憲法9条を守る運動として皆さんの学区でも早々呼びかけましょう!

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