愛知県保険医協会理事/大府市・歯科 小塚 信幸
私は戦後生れの団塊の世代で、戦争を知りませんが、私の父は昭和13年に召集され千葉の鉄道隊に入隊しました。初年兵からは満州の関東軍の方へ配属されて軍隊のきびしさ、シゴキを相当受けたそうです。 太平洋戦争が始まって、再度千葉の鉄道隊へ行き日本軍の進行にあわせてインドシナ半島からタイまでは、後方部隊としていやな思いもせず行けたそうです。そこからはタイからビルマ(今のミャンマー)までの泰緬鉄道の敷設の任務となり、父は下士官として上官よりの命令により補虜と現地人を使っての鉄道の建設にあたりました。タイの現地の人々とは友好的に接したが、捕虜の人々には上官の命によりきびしくあたり相当いやな思いをしたようです。その後戦火が悪くなりインパール作戦が始まり鉄道隊も前線に行かされて、昭和20年敗戦の時はビルマ(今のミャンマー)北部にいまして、ビルマ中を敗走するうち仲間の人々が多く亡くなり父もマラリヤにかかり銃創のきずで動けずにいる時、現地の人に助けられてしばらく現地で看病してもらって、終戦より八カ月後の昭和21年に復員したそうです。
その後は別段何事もなく生活をしておりましたが、父は50歳をすぎてから夜寝ている時にうなされて、奇声を大声であげ夜中に何度も目をさまして朝方は元気がありませんでした。家族で心配していくどもたずねましたが、あまり何にうなされていたかは多くかたりませんでした。しかしことばの端々から思うと戦争中の悪夢にとりつかれていた様でした。その後しばらくして今から20数年前に、鉄道隊の生き残りの戦友の方々よりビルマに遺骨の収集と慰霊にさそわれて行きました。帰ってからは、それまでのうなされる様な事がほとんどなくなりました。精神的に気持ちの方でくぎりがつき相当おちついた様でした。この様にいかに戦争は生き残った者にも一生苦しめるものであるか、身近な私にもよくわかりました。
又私は子供の頃に伯父(父の兄)が従軍記者で中国戦線での写真、中国人虐殺等の写真アルバムを見せられたショックを今もおぼえています。戦争のむごさ、嫌な事は体験はなくても身近に感じていました。私は反戦の気持ちは若い頃より芽生え、18歳の時には京都で70年安保の抗議に参加しましたし、ベトナム反戦にも加わりました。その後は特別な行動はしてきませんでしたが、これも日本の憲法九条があるからと安心していました。ところが小泉政権になってからあやしくなってきました。ブッシュ・小泉の関係によりアフガニスタン、イラクへの自衛隊を派兵する様になってから自民党内で改憲の動きが強く出てきました。特に右寄りの中では九条が問題にされていてそれを安倍政権が動き出してきたが、昨年夏の参議院選の結果ストップしました。少しは安堵しましたが、まだまだ油断は出来ません。今度の衆議院選で与野党を逆転させて、完全に自民党を下野させてこそ安心出来ると思います。日本がこの先にどの様な立場になっても、他の国にむかって誇れるのは憲法九条です。そして今の憲法を守りましょう。
2008年4月5日