2006年4月15日

歴史の歩み

あいち医師・歯科医師九条の会よびかけ人
名古屋大学名誉教授
三浦 隆行

   東西冷戦が続いていた頃のことです。チェコスロバキアでは、ドプチェク氏が大統領に就任、開放的な政策は「プラハの春」と賛美され、繁栄を享受しておりました。この開放策をこころよしとはしなかったソ連軍がチェコスロバキアへの侵攻を計画しました。その時、ドプチェク大統領は、自らの護身をはかることもなく、繁栄するプラハの街を戦火に曝すことを避け、ソ連軍と戦うことなく、大統領の座を降りてしまいました。圧倒的なソ連軍を前にして止むを得ない選択であったと考えられます。この頃「戸締り論」が話題となっておりました。「自衛権=戸締り」として自衛力の保持が必要であると語られました。ソ連軍の侵攻により「プラハの春」は、冬へと逆戻りしましたが、プラハの住民にとって、戦火の中の生活といずれが幸福であったかは一概には判断できません。考え方は人それぞれと思います。しかし、あの世界大戦中の生活を、そして空襲を経験した私には、市民の幸福を願うのではなく、自己の栄達、繁栄のみを願う大統領であったならば、たとえ街は侵攻から守り得ても、当時のプラハの街は戦火の中に消え、多くの市民は死亡し、今日のプラハは存在し得なかったのではないかと考えます。
 現実が、「戸締り無用」と言い切れる世の中ではないことは否定できません。しかし、歴史の歩みが示す変革は信じたいと思います。戦国時代、いや百数十年前の近年まで、幕府軍と薩長は戦い、三河と尾張は互いに争いが絶えない日々を送っていました。今なお、中東地区、アフリカなどでは、武力抗争が絶えませんが、先進国では国内紛争の解決手段としての軍事的手段は着実に除かれてきております。北欧においては国境の姿は形を変え北欧圏としての協同が進み、紆余曲折はありますが、ヨーロッパ連合も未来の姿を見せ初めております。軍事による「戸締り=自衛」よりはこの流れを活性化させることこそが戦争放棄を誓った我が国の課せられた責務ではないでしょうか。
 この達成には、お互いの意思疎通がまず必要です。それには、地域間の時間距離、情報交換の速度が関連します。時間距離では、世界中がすでに、江戸時代の東京―京都間より短くなっております。情報交換の速度は皆様もご承知のごとく瞬時に可能です。すなわち、軍事ではなく、話し合いによる単一協同体確立の条件は既に整っていると言ってよいのではないでしょうか。この後に必要なのは「国連=治安警察」のみのはずです。
 今こそ、戦争放棄の先見的旗印を高く掲げて、人類と言う協同体の確立を世界に呼びかけ、推進することこそが我が国に与えられた重要な責務と考えております。

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