2006年5月15日

私と九条

中村区・水野小児科医院  水野 康子

   戦前、戦中、戦後と生きて来た私にとって、そして又、焼夷爆弾の炎熱地獄の中を辛うじて逃げのびた私にとって、戦争というものは、いかなる論法を以てしても許すことの出来ない此の世の最大の罪悪であると信じている。
 終戦を知った瞬間、私は「あゝ、これで私の生命は保証されるのだ」と先ず思い、大きな安堵を感じた。しかし、その後に続く戦後の復興は、戦争中の辛苦にもまさる苦難の道であった。いつまで続くか分からない窮乏の日々は、今ここで簡単に述べられるものではない。食糧、衣料、住居を得るための国の補助は、生命を維持するのには程遠い微々たるものであり、およそ食料品とは言い難い食糧を手に入れるため私たちは奔走したのである。私は綿布の端ぎれを手に入れて、それで自分の外出用の靴を作ったりした。
 さて、このような非人間的な生活を強いて尚、国家はそれを当然としていた。戦争とは、敗戦後も姿を変えて、何年も何年も国民に苦しみを強いるのである。
 私たちは、何としても戦争だけはしてはならない。最近の政情は、戦前に私が感じたと同じような風潮が明らかなように思われてならない。誰もがそのことに気付いた時には、もう取り返しのつかない、軍国主義のレールに乗せられているのだ。
 憲法九条を知ったとき、私は心の底から嬉しく思い、これで日本は大丈夫と安心したものである。この九条が半世紀を経た今、風前の灯となっているではないか。九条が命を失なったとき、日本国民はかつてのように、1枚の紙片で死地に送られることにならないと誰が言えようか。現在の自衛隊のイラク派遣も、その前奏曲ではあるまいか。
 どんなことがあっても、私たちは九条を守らねばならぬ。国民が国政に対して意志表示の出来る具体的方法は、究極には選挙の1票である。皆が1票に萬感の思いをこめ、間違っても、九条に反対、若しくは態度のあいまいな党には、決して投票しないようにしなければならない。
 いかなる悪をも知らない幼な児を見るとき私は、この子が成人したとき、私が経て来たような残酷な経験をしないですむようにと、願わずには居られない。

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