2007年1月25日

私の2人の祖父の思い

みなと歯科診療所  江原 雅博
 私は軍人関係の家系に育った。祖父は貧しい地方で育ち、家の借金を返すために軍人になった。本人は憲兵隊長だといっていた。伯母も軍人に嫁いだ、一番上の叔父が飛び級で陸軍士官学校に入ったのが祖父の自慢だった。明治生まれで頑固者の祖父だったが、孫には甘かった。いろんな話をしてくれたが、戦争の体験は一言もしゃべらず逝ってしまった。しかし祖母は賢明な人で、将校になるべき伯父が結核で死んだこと、父が大学に入学するとき空襲があり、大阪の淀川の鉄橋を歩いてわたり帰ってきたこと、家の近くに焼夷弾が落ちて、不発だったが怖かったことなど教えてくれた。
 母方の祖父は兵庫県の歯科医師。独学で勉強し資格を取り田舎の町で開業した。母は公立の病院の歯科医師でそれらの影響を受け、私は歯科を目指した。小学生の時の夏休みはほとんど母の実家で過ごした。大切にしていた金魚を釣ったり、悪さしかしなかったので、祖父には怒られた思い出しかない。怖かった。そんな祖父だったが亡くなる前こんなことを言った、「歯医者も戦争に行った。虫歯は全部抜くしかなかった、戦いが始まると、一番大切にされたのは外科医、その次は軍馬を見る獣医、眼科や歯科は傷を縫うだけ、歯医者が歯科をやれるのは平和な世の中しかない。お前も歯医者になるなら心しろ」当時中学生の私には、その時はそんなものかなとしか感じなかった。
 家には軍記ものの本も多くあり、軍艦や戦車のプラモデルがかっこよかった。よく作った。平和な日本に育ったが平和の意味は知らなかった。大学に進み、学校では教わらない歴史があることを知った。世界の中での貧困と戦争。近代日本がアジアの国やその人々に行ったこと、日本の中での搾取と抑圧の歴史。今の平和憲法。
 この憲法は米軍が作ったものではなく、私たちの日本の歴史の中から生まれたものである。私のDNAの中には、私のルーツである2人の祖父の思いもある。

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