2008年5月15日

九条こそ平和の力

愛知県保険医協会理事/丹羽郡・歯科  大藪 憲治
 三十年前の学生時代、蜷川民主府政のもと京都の庁舎に「憲法を暮らしに生かそう」の垂れ幕があることを知った。その時、なんて大げさなことをするのだろうと思った。たかだか京都の地方自治体が憲法の垂れ幕なんて、と。しかし、民主府政が倒されたとき、その垂れ幕は真っ先に外されたことを知った。
 僕の名前は、「憲治」です。ケンジという呼び名は多いから、相手に漢字の名を伝えるとき、「憲法の憲に、治める。と書くんです」と言う。でも、憲法なんて当たり前すぎて、ことさら強調することでもないし、そんな大げさなことは、学生時代に真剣に考えたことは無かった。ただ、きたがわてつ氏の日本国憲法前文は、ロック調で、よく口ずさんでいた。特に最後のリフレイン ♪♪日本国民は 国家の名誉をかけ 全力をあげて この崇高な理想と 目的を達成することを誓う♪♪ は、好きなところだ。
 歯科医師として最初に社会にでたのは、憲法二十五条で闘った人間裁判「朝日訴訟」の起きた岡山県だ。そのおかげで、社会保障としての医療が後退させられる八〇年代後半、国民医療を守るために憲法の果たす役割の大きさに気づいた。そして憲法は、その意義を絶えず確認しないと、日々の暮らしの中で生かされないことを知った。そして驚いたことにそのことについても日本国憲法には、第十章最高法規 [基本的人権の由来特質]として触れてあったのだ。第九十七条 この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であって、これらの権利は、過去幾多の試練に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。
 二〇〇五年の岩波ブックレット「憲法を変えて戦争へ行こう」の中で、ペシャワールの会現地代表の中村哲医師は、『「九条」というものを現地の人は実際には知りません。しかし現実として「平和の国・日本」というイメージが浸透していたのは、意識・無意識の別なく国の方針としての九条の精神「交戦しない国・日本」が伝わっていたからだ』と述べており、続いて九条のおかげでわが身が守られてきた旨のことを書いている。そして国際貢献と武力とはなんの関係も無いと言い切っている。彼の言うことはもっともだと思う。しかし、現実の政治では、昨年五月十四日、憲法改正の手続法である「国民投票法」が成立してしまった。こんな事態はいけないと感じつつも、僕の憲法についての知識は、法律の大本という程度の認識しかなかった。それを打ち砕いてくれたのが、伊藤真著書の「憲法の力」である。彼はこの本のなかで次のように書いている。『憲法の根源的な意義・役割は、「国家権力に歯止めをかけること」です。これは憲法学のもっとも基本であり、常識です。「法律は国民を縛るもの」ですが、「憲法は権力を縛るもの」です。』僕は、この一文に目を覚まさせられました。つまり、憲法とは国家権力を拘束するものであって、国民に義務を課すものではないのだ(それは当たり前のことなんですって)。そのことを理解すれば、四月十七日名古屋高裁で出された「イラクで行われている空輸活動は、憲法九条に違反する活動を含んでいる」という空自イラク活動違憲判決は、画期的だ。国民にとって、大きな力になる。「九条は生きていた」まさに「憲法の力」だ。
 最後に憲法前文の中段を、僕からの最後のメッセージにしたい。
 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷属、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

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