2008年11月5日

暗い戦後に見えた希望の光―25条とともに

天白区  前田 成
 イラクでの航空自衛隊活動を違憲とした名古屋高裁判決は、非常に妥当なものと思います。日本軍政府の暴走による太平洋戦争開戦後、さほどたたずしてミッドウェー海戦により日本海軍は空母をはじめとしてほぼ壊滅的な打撃を受けていました。
 そのため太平洋の島々の制空権をほぼ失い、輸送船団が次々と米軍により撃沈させられ完全に補給路を絶たれ、島々に残された兵士達は圧倒的な軍事力を有する米軍に対して孤立状態で飢餓病気と戦い、武器も不足し悲惨な状態におかれ、降伏は日本政府に認められず全滅しました。当時この事実を国民は知る事は出来ませんでした。補給路を絶つと云うことは、戦略上非常に重要な任務です。インド洋での給油活動や米軍兵士や武器を運んでいる自衛隊は米軍と一体とみなされ、いつ攻撃を受けても致し方のない状態なのです。憲法9条では武器の保有も使用も認めていません。憲法が発布された時、誰が現在のような法の曲解を予想したでしょうか。太平洋戦争が敗戦に終り、日本は軍国主義への反省から二度と国家の暴走による戦争をしないことを憲法により決めたのです。今米国や日本政府の都合により、現在の憲法解釈では限界を感じ、憲法9条を壊して日本を戦争の出来る国へ変えようとしているのです。
 今私達の身近な問題として後期高齢者医療制度があります。今の高齢者は戦争の生き証人です。戦争中日本政府のため生命を奪われそうになり、生き残った人達なのです。彼等は平和憲法を心の支えに、廃墟となった国の再建と発展のために懸命に働き、社会に貢献して来た人達です。この医療制度によって再度命を削られようとしています。国家として高齢者に恩を仇で返すことが許されるのでしょうか。憲法を変えるのに長生きされては都合が悪いということなのでしょうか。
 私は戦争を、国家により善良な市民を殺人者へと駆りたてる狂気の世界と考えます。イラクから帰国した米軍兵士が日常の生活に適応出来ず殺人事件をおこしたり、花火に怯えたり、悪夢に悩まされたり、PTSDに苦しめられているとの報道がされています。彼らもまた戦争の被害者なのです。
 米国はかつてベトナムで戦争を開始しました。共産主義というイデオロギーの拡大を恐れて始めた戦いでした。多くの兵士が命を落とし、その結果選んだのは名誉ある撤退でした。米国の軍事力による国益の追求は憎悪の連鎖を生みます。なぜベトナム戦争から米国は学ばなかったのでしょうか。
それには米国は膨大な武器産業を抱えている国内事情があるからです。
 日本は米国の植民地ではないのですから軍事協力は丁重にお断りすればよいのです。平和憲法を堅持し、周辺諸国と友好関係を一層深めておけば、日本周辺で戦争は起きないのです。日本は太平洋戦争中に東南アジアで多く人々に犠牲を強いました。二度とこの過ちを犯してはなりません。私にとって第九条は25条とともに、暗い戦後の日本の未来を照らす一筋の明るい希望の光でした。

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