一宮市 浅野 恭正
わたしは戦後十三年して生まれ育ちました。物心ついた頃に男の子にはかっこよくうつる艦艇や戦車、ジェット戦闘機がありました。りりしく映る自衛官が勇ましくとてもかっこよかった。
航空祭があると友人と自転車で航空自衛隊基地へいきアクロバット飛行を興奮して楽しんだりもしました。そのころは何の違和感もありませんでした。
安保反対のデモや学生紛争はたしか五・六年生の頃だったと思います。安田講堂の立てこもりをテレビにかじりついてみた覚えがあります。「すごいことをしているなぁ」がまず思うこと。そしてほんのわずかだけれど、なぜ? と。
年を経るにしたがいそのわだかまりが次第に大きくなりかっこよさの後ろに潜む暗闇がみえるようになってきました。
私の父は戦争には行きませんでした。理系の学生だったので命拾いしました。赤紙が届いたけれど間違いだと名古屋城の師団本部に返しにいったそうです。
戦争にいっていたらサイパンで玉砕だったとよく聞いたものです。万歳突撃で意味無く命を落としていたでしょう。
戦争に行きたくないため文系から理系に転部したという話もよく聞きます。
父も“非国民”でした。そして今の私が、子供がいます。
沖縄戦についても最近はその実情を聞くようにもなりました。壕内で泣く自分の赤子を絶命させる悲惨さ。日本国民を守るはずの日本兵が日本国民を苦しめていた一面も。国民の当然の意識として「守ってくれる」、と思うはずですが実は軍は国体を守るのであって人民を守るのではないのです。極限状態では兵器は悪魔の槍となるのです。
イラク戦争ではイラク人民はどうでしたか。
イスラエルとパレスチナはどうでしょう。ガザの攻撃については互いに都合の良い報道をしているともいわれるが罪のない多くの命や財産が失われたのは間違いないでしょう。
ドイツや日本は先の大戦で非人道的なことをしました。そして裁かれました。では今の米国は? イスラエルは? 私には同じことをしているように思えます。
力には力を。ある意味正しいこともあるでしょう。しかしそれが戦争となると狂気の世界になるのです。
九条の会は地域・職場職種等で活動しています。私の地域でも九条の会があります。広島の原爆の日、長崎の原爆の日、そして八月十五日には平和の鐘を皆でならしています。しだいに戦争経験者が少なくなっていくので聞く機会を作ろうともしています。
この地域の会に参加したことがきっかけで広島・長崎で被爆された方と知り合うこともできました。長崎で被爆された方は母に言われて壕へ食料を取りにいき、壕の入り口で背後から炸裂。壕内に吹き飛ばされたそうです。爆心地四百mです。体力のない幼いものから亡くなっていったそうです。生き残ったのはご本人一人。壕内に吹き飛ばされたことで一命をとりとめたのです。彼は穏やかな話しぶりですが、原爆症とのたたかい、一人でどう生きるのか。原爆症はうつると噂され被爆したことを長く隠して暮らしたそうです。彼の生活は辛苦に満ちたものです。
私は戦争体験がありません。さらに若い方々は戦争の悲惨さを知りません。今の政治の方向をみると多くの政治家は国民を守る・世界平和・秩序を守るという大義名分をふりかざし戦争を知らない多くの国民を怖い方向に向けているように思えてならないのです。
いまでも同じようなことが起きているのです。
ベトナム、イラク、パレスチナ…、強い国の大義名分のもと悲惨なことが起こっているのです。
誇れる平和憲法を守り堅持し広めていこうではありませんか。
皆さんもご自分の周りを見回してください。保険医協会もそうですがご自身の地域でもきっと九条の会が見つかります。
勇ましさ、かっこよさの背後には苦や闇が潜んでいるのですから。
2009年3月25日