愛知保険医新聞2025年2月25日号掲載
江南市 平井 長年
昨年11月に沖縄を訪れる機会があった。
沖縄は戦前、サトウキビ畑が広がりそれを運搬するために那覇から嘉手納・糸満・与那原と3方向に軽便鉄道が敷設されていた。沖縄戦で破壊され、戦後広大な米軍基地が作られ廃線になった。その沖縄にモノレール、ゆいレールが2003年に開業された。1日券があり昼に買えば翌日の昼まで24時間有効で2日に渡って使用でき便利だった。
「原爆の図」を描いた丸木位里、俊夫妻は「日本人の多くは空襲を戦争だと思っているが、世界の戦争は地上戦だ。空襲と地上戦は全く違う。日本人は戦争に対する考え方が甘い。こういう国はまた戦争するかもしれない」と述べた。確かにガザを見てもウクライナを見ても地上戦だ。
日本で唯一地上戦が行われ、本土上陸を少しでも遅くするため捨て石にされた沖縄。この地上戦で人間がどのように破壊されたかを生き残った被災者の証言を聞き、モデルになってもらい描いた丸木位里、俊夫妻の「沖縄戦の図」を展示する佐喜眞美術館を訪ねた。宜野湾市役所の近くで那覇空港からゆいレールとバスでも行ける、車だと1時間の距離にある。米軍普天間飛行場の一角にはまり込むように位置し、北と西側は基地のフェンスに接する。屋上に上がると基地内に古い亀甲墓が2基取り込まれていた。元々住民が畑を耕し暮らしていた所を銃剣で強制的に立ち退かせブルドーザーで整地した事がよくわかる。美術館は祖先の亀甲墓を基地から取り戻し建設された。
「沖縄戦の図」は高さ4m、幅8.5mの大作だ、迫力がある。ナチスのスペインバスク地方の無差別爆撃を描いたピカソのゲルニカを彷彿とさせる。
作品の前には椅子が3脚据えられている。椅子に座りじっと見ていると様々な人間模様が見えてくる。剃刀で、縄で、鎌で、鍬で集団自決に追い込まれた一団が折り重なって倒れている。血で染まった海は沈んでいく屍体と埋め尽くす米軍の艦隊。炎の中で翻弄される一団、中央にはこちらをじっと見つめる3人の子どもと老人。戦場を逃げまどう家族。シャレコウベがゴロゴロした中に顔だけの丸木位里、俊夫妻。また、たくさんのアダン※の風車が舞い、それをつかもうと幾つかの手が伸びる、凄惨な絵の中で何か希望を語っている。
与那国島、宮古島、石垣島と南西諸島に敵基地攻撃と称してミサイル基地が次々と配備される中、再び沖縄を戦場にしてはならない、と「沖縄戦の図」は訴えていた。
沖縄を訪れる機会があれがぜひ訪れて欲しいと思う。
※アダン 海岸近くに生息し密生、葉は細長い。この葉で風車を作る。