2006年10月25日

改憲の論拠を問う

北 区  徳田 秋
 「憲法を書き換えよう」といっている人たちの言い分を吟味してみましょう。どの言い分も、ちょっと聞くともっともらしく聞こえるのですが、きちんと考えるといろんな矛盾があります。

「今の憲法はアメリカに押しつけられたものだから、日本人の手で書き直すべきだ」
 占領下で新憲法の制定を強制されたことも、憲法の原案がアメリカから示されたことも事実です。問題は、誰が書いたかではなく、何が書いてあるかではありませんか。
 当時の日本政府が準備していた改正案は明治憲法にほんの少し手を加えただけのものであって、主権在民も男女平等も書かれてはいませんでした。そんな憲法の方が望ましいと思う人があるでしょうか。
 しかも現在日本の憲法を一番変えたがっているのは、日本に向かって「Show the flag!」「Boots on the ground!」と叫ぶ、アメリカの「ネオコン」たちであって、これこそ正真正銘の「押しつけ」ではありませんか。

「憲法は現実的でない、もっと現実に合わせるべきだ」
 憲法に書かれていても、実現していないことは少なくありません。たとえば完全に男女が平等になっていないからといって「両性は平等でなくてもいい」と憲法に書けというのでしょうか。すべての国民に「健康で文化的な生活」が保障されているとはいえないから、25条はなくしてしまえというのでしょうか。

「国際貢献をして、日本が世界から認められるためには、自衛隊を海外に送らなければならない」
 これは極めて一面的な主張です。国際貢献は武力だけでできるものではありません。
 世界には、飲み水がないばかりに死んでいく子どもたちがいます。日本では見ることもできなくなったマラリアなどの伝染病で、毎年たくさんの人が亡くなっています。こんな人たちのために、軍隊がどんな役に立つでしょうか。
 開発途上国の人びとに役立つことが日本にはたくさんあります。自衛隊を送り出す費用で、薬品を送ったり、さまざまな技術者を派遣したりする方が遥かに多くの人から感謝され、それによって日本の国際的な評価がどれほど高まるか分りません。

「時代が変わったから憲法も変えなければならない」
 これも大変な思い違いです。非戦・非武装の日本国憲法は時代を先取りしているのです。長い眼で見れば、世界の歴史は日本の憲法が指し示した方向に動きはじめています。
 そんなときに、私たちが自信をなくして憲法を変えるようなことがあれば、それこそ世界中の物笑いにされることでしょう。

「北朝鮮が日本を攻撃するかも知れない、いつでも使える武力を持っていないと侮られる」
 いきなり他国を攻撃することのできる武力を持っているのは、世界中でアメリカだけといっていいでしょう。そしてそんなことを国際世論は許しません。現に「テロとの戦争」を唱え続けるブッシュ政権は、アメリカを国際的な孤立に陥れているではありませんか。
 国際摩擦を、武力ではなく、平和的な外交によって解決することこそ日本の安全を守る道です。

「今の憲法には環境権やプライバシーのことが書かれていないから書き加えるべきだ」
 改憲派が比較的最近になって口にしはじめた議論です。確かに、環境の汚染や、プライバシーの侵害が現実に起こっていることは事実です。しかし、それは憲法に書いていないから起こったのでしょうか。今の憲法の下でも、環境を汚染したり、他人のプライバシーを犯したりしたことが明らかな場合には、法律によって処罰されているではありませんか。
 これまで、平気で自然を破壊したり、他人の家に盗聴器を仕掛けたりしてきた人たちが、一番熱心にそれを主張するのですから、そのいかがわしさははっきりしています。

「憲法だって法律だから、改正にそれほど慎重である必要はない、改正の手続きも、もっと簡略にしようじゃないか」
 これも近頃しきりに耳にする議論です。憲法も法律にはちがいないのですが、普通の法律とは違います。
その改正手続きが、普通の法律よりも厳格に定められている憲法を「硬性憲法」といいます。国の政治の枠組みを、一時の誘惑やパニックによって、誤った、合理的でない改正をしてしまわないための工夫といわれています。
 政治の基本的な枠組みが絶えず変われば、社会は当然不安定になります。憲法を簡単に変えたいという人たちは、そんな不安定な国の方が望ましいとでもいうのでしょうか。

「国の防衛や外交は、個人個人の利害よりも大切だ」
 これを四字熟語にすれば、戦前しきりに唱えられた「滅私奉公」です。「お国のため」といって諦め、とうとう捨ててしまった数々の生命や幸せは、永久に失われたままです。
 こんなことが二度と起こらないように「この国の主人は国民。国のために国民があるのではなく、国民のために国があること(主権在民=民主主義)」をはっきりと決めたのが今の憲法なのです。
 「滅私奉公」の時代の方がよかった、もう一度あんな世の中にしたいと考える人があるでしょうか。

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