2007年5月15日

アジアと友好のために ~身近な“満州”を通して考える~

緑区・内科勤務医  内山 美代子
 4年前イラク空爆反対の国際メール署名が癌で闘病中の高校時代の同級生から届きました。その直後アメリカのイラク空爆が始まり、同級生も亡くなってしまいました。
 故人は高校野球の応援団長をしていた人で人望が厚くその後東京で故人を偲ぶ会や思い出を語る会が開かれました。私も会に参加し久しぶりに長野高校の同窓生と故人を偲びつつ旧交を温める機会を得ました。その会で故人の家族が満州開拓団からの引揚者であったことや長野県が満州開拓事業を推進していたことを知りました。
 そういえば87歳の母が昔の話をします。「妹夫婦を尋ねて満州に行き満州鉄道に乗ったことがある」、「満州で看護師として働こうと志願したところ急遽父親に見合いを勧められ結婚し満州へ行くことにはならなかった」と語っています。長野ではこんなに身近に満州国とかかわりのあった人に出会います。
 昨年夏、故人の闘病を最後まで支えた同窓生でドキュメンタリー番組のプロデューサーをしている友人が、終戦特集で取り残された民衆(元関東軍兵士と満州開拓団家族の証言)という番組の制作に携わり、私に番組案内を届けてくれました。さっそく観ました。もともと関東軍の力で中国から奪った土地に日本から大勢の開拓団員が国策として送り込まれました。終戦直前のヤルタ会談で樺太などの利権と交換に満州国への軍隊参入を決めたソ連。ソ連軍の進行の情報を知って何はともあれ即刻逃げようとした軍関係者達についての話。爆薬を爆破させてから逃げる予定が列車の発車が遅れ大惨事となった現場に遭遇した人の話。また逃げる途上中国人の集団に襲われ殺し合いになったという話。見つかるといけないといって泣く子を殺したという話。村の若者を何とか生きて帰そうとし、その他の人が自害したという話。一緒に死ぬと言う若者に、あなたは生きて帰って父親や兄に母と弟は自害したということを伝えてほしいと母親に言われ、またあなたは死ぬために育てられたのではないと教師に説得された話。などなどごく普通の人が淡々と語っているのですが、話の内容が大変迫力のある番組でした。これは太平洋戦争のほんの一こまに過ぎません。
 太平洋戦争によりアジアでどれだけ多くの尊い命が失われ、またどんなに多くの平和な暮らしが奪われたことでしょうか。もう二度と戦争を始めてはいけないと思います。憲法九条を守ることは日本とアジア諸国との友好を深める基でもあるとも思います。
 私はイラク戦争など戦争の続く今こそ日本国憲法九条を改正することではなく世界に向けて高々と掲げることを選びたいと思います。

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