2018年6月7日

自衛隊の存在を問う

あま市 杉藤 庄平
私が初めて、憲法を知ったのはいつのことだったろう。たぶん、中学生の頃だったように記憶している。特に九条を読んだときに、では「自衛隊」と言う存在が、なぜ許されているのかを疑問に思ったことを強く覚えている。特に第二項の「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」。この文章を読んで、「自衛隊と言う名前にはなっているが、自衛隊は軍隊だろ」と思った。それは40年以上たった今でも変わらない。
現憲法が1947年5月3日に施行されてから71年、憲法九条の解釈は大きく変わってきた。現憲法が発布される前の1946年6月に当時の吉田首相は、衆議院本会議において「自衛権の発動は認められない」と答弁している。これが本来の憲法九条の趣旨であると私は思う。しかし、1952年には「『空』を有しなければ軍隊ではない」との解釈のもと、警察予備隊、保安隊は戦力ではなく警察の上の組織とした。またその2年後の1954年には、米国の要請もあり「憲法は自衛権を否定していない。憲法は戦争を放棄したが、自衛のための抗争は放棄していない」として、『空』を有する自衛隊が発足した。
特に憲法九条の解釈変更に大きくかかわったのが、1978年の当時自衛隊統合幕僚会議議長であった栗栖弘臣氏の「奇襲侵略を受けた場合、首相の防衛出動命令が出る前に第一線部隊指揮官が超法規的行動にでることはありえる」と、有事法制の整備を促した発言ではないだろうか。当時は野党だけではなく、与党自民党からも批判が噴出し、栗栖氏は解任されてしまった。しかしそれ以降、多くの国防論議が起こるようになってしまった。
1991年には、湾岸戦争の勃発に端を発して自衛隊の海外派遣が始まった。2001年には、アメリカの同時多発テロ事件を受け「テロ対策特別措置法」が成立し、自衛隊の多国籍軍への後方支援を可能にしてしまった。そして2016年、北朝鮮の核開発を理由に「平和安全法制」が成立し、集団的自衛権の名の下に同盟国のためであれば自衛隊が海外で武力行使が可能となった。
このように憲法九条は、時代背景と共にその解釈が変更されてきた。このまま解釈が変われば、海外の在留邦人を守るために、他国を武力攻撃できるような解釈も出てくるかも知れない。また解釈改憲になれてきて、憲法九条を守れという護憲派の中にも、自衛隊を容認する意見は多い。本当にそれで良いのであろうか。私は今一度、自衛隊の存在自体を問いたい。

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