2018年3月8日

私と9条

緑区 山本 節子
 憲法9条を守る運動に私が関わるようになったきっかけは、イラク戦争と沖縄基地問題でした。随分前から、沖縄での米軍基地由来の人身被害の連発が不当な差別からおきるものであり沖縄では憲法や法律は効力を持たない状況が、沖縄返還(1972年5月15日)から今も改善されず、逆に本土の沖縄化が現実のものになってきた感があります。例をあげれば、事故多発、墜落の危険あるオスプレイが日本上空を訓練飛行、憲法解釈を無理に変えて集団的自衛権の容認、沖縄の負担を軽減するとしてオスプレイ配備抱き合わせの米軍岩国基地拡張、以前は控えていた表現を憚ることなく日米同盟と言い一体化した軍事演習、超高価ながら効果不明の対空ミサイル設置など憲法9条で保障された自衛のための軍備をはるかに超え、次は憲法を現状にあわせるために変える運びです。こうした動きを止めようと9条の会が全国的に広がって、ささやかながら歯止めの役割を担って来ました。
 戦争体験者が年を追うごとに減るなか、9条の大切さを理解する国民を過半数を大きく超える多数で維持するためには、あの東日本大震災の津波で犠牲を圧倒的に減らすことができた教訓、釜石の奇跡にあるように、子供たちに先人の経験が伝えられる、命を守る知恵として9条を理解し今を生きる人に確実に根付くように、私たちが努力を惜しまないことが求められています。振り返ると、ソ連崩壊後冷戦から解放され軍縮が進んでいく期待があったけれど、戦争と兵器を商売道具とする業界は新たなイスラム過激集団による紛争を戦争規模に拡大することに成功し、多くの国の軍事支出を増やす成果を勝ち取ってきています。テロとの戦いでは、民間人の犠牲は軽視されテロによる死傷者よりもテロ根絶のためとしての軍事作戦による民間人犠牲が多くても、平和のためには人権蹂躙やむ無しと、公然と国際法違反がまかり通る無法地域が拡大しているのです。
 日本では、田舎の橋等にもテロ警戒中の看板が見られるようになったのと、北朝鮮ミサイルが極端に現実的脅威とテレビニュースに流され、Jアラートなど新たな緊張を煽り、軍事予算を大幅に増やすだけでなく武器生産、輸出に取り組むという数年前には考えられない方向転換を国会議論をしないうちに決めているように感じます。
 もう、10年ほど9条の会で署名集めや学習講演会に取り組んできていますが、日本会議をはじめとする改憲勢力は国会の多数勢力を占め、経済界と高級官僚とも結束して日本の軍国化を更に強力に進める勢力への、歯止めになるには弱すぎる現状を覆す新たな前進が求められています。
 ヒットラー、ナチスの台頭に学んだドイツは欧州内の敵対を避け移民排除をしない姿勢を選択して困難ながらも信頼のおける国として一目置かれる立場にあるのに、日本はかつての古い人権意識の低い軍事国家にこのままでは逆戻りの危うい状況で、暴走する政府をまだ生きている平和憲法を活かして押さえ込めるか真剣に試され、私たちの民主主義の正念場であり、後退は絶対に許してはいけないのです。

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