2017年3月26日

父の戦争体験とすずさん

昭和区 小川 麻子
 みなさんは「この世界の片隅に」というアニメ映画をご覧になりましたか?
戦争中広島から呉に嫁いだ普通の女の子「浦野すずさん」の生活が描かれています。絵を描くことが大好きな「すずさん」。穏やかな「すずさん」の日常に遠慮なく戦争が入っていきます。呉は海軍の造船所を持っているため空襲に何回も遭います。ある時「すずさん」は、大切な姪っ子の命と自分の右手を時限爆弾で失います。生活を工夫して、日々をしのいでいた「すずさん」のまわりでどんどん戦火が激しくなります。そして実家の広島に原爆が落ちます。両親は爆風で即死。大切な妹は原爆症です。敗戦の玉音放送を聞いた「すずさん」は立ち上がります。「うちはこんなの納得できん」。必死で戦う覚悟だったのに。終戦になっても右手は帰ってきません。たくさんの夢や幸せはどうして奪われてしまったのでしょうか。
 私の父は終戦を呉で迎えています。小学校の夏の課題で「戦争体験」を質問した孫に父は語っていました。呉海軍病院で「ピカドン」を見たと。父は戦火の医師不足対策のため、たった3年で医学部を卒業し、海軍の船に乗ったそうです(孫には「わしらが優秀だったから」と語っていましたが)。3年間は合宿みたいに夜中も講義があったそうです。原爆患者の治療について私が尋ねると「蛆虫とるくらいしかなかった」と父の顔はものすごく寂しそうでした。今回「この世界の片隅に」の映画に使命に燃えて若かった外科医の父の姿を重ねてみました。「すずさん」の飛んでしまった右腕の治療をしたかもしれない。大好きな絵が描けなくなった「すずさん」の辛さをわかってあげていたかもしれない。父を近くに感じました。
 父は実母を結核で早くに亡くし貧しいながらも頑張って医師を目指したそうです。若いころの父の夢や小さな幸せはどうだったのでしょうか?
 私自身は大正生れの頑固な父が怖くて、あまり話をしたことがありません。もっともっと聴いてあげたらよかったと思いました。
 たくさんの犠牲の中で学んだ憲法9条「戦争と武力の行使は国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」を守り続けなければ「うちはこんなの納得できん」と「すずさん」や父に怒られます。
 私の小学校の先生は夫になる人を戦争で亡くされて生涯独身でした。叔母は妊娠中に夫を戦争で亡くしています。母は戦火のなか女学校に勉強ではなく飛行機を作りに行っていたそうです。たくさんの語り部が戦後70年で亡くなられています。もっともっと話を聞いて語り繋ぐべきです。日本が世界に一番誇れるのはこの憲法を守る事ですから。

ページ
トップ