2014年1月18日

平和への想いは世代超えて伝わる

緑区・勤務医 棚橋 千里
 小学生のころから漫画が大好きだった私は、手近にある漫画なら何でも読んだ。そのなかに「はだしのゲン」があった。漫画は面白いもの、と考えていた私にとって、初めて読む「胸の痛くなる漫画」だった。人が大勢むごたらしく死んでいく原爆が、心底怖いと思った。
 中学生のとき、「悪魔の飽食」を読んだ。七三一部隊の人体実験。どんな理由を考えても許せないことだと思った。戦争は、人をこんなひどい行動に駆り立てるものなのかと、空恐ろしくなった。
 そのころの私は、「九条」は平和のための文章であることは授業で知っていたが、「平和が大切、戦争はイヤ!」という想いは、思考よりも感情が優先していた。
 これらの本を私が読む機会をそれとなく作ったのは父だった。読んだ後、感想を聞かれたわけでも、議論をするわけでもなかった。日ごろ平和を意識した会話があったわけでもなかった。でも、私は知っていた。父が人を大切に思っていること、だからこそ、人がたくさん殺される戦争を嫌っていたことを。
 高校生になってからは、平和とか戦争とかについて、まったく考えなくなった。そういう話題が友達との会話にそぐわないと感じたことも一因だが、楽しいことがありすぎて忘れていた、というのが本当のところだと思う。大学生になってからは、自分と価値観の違う人がいることをはっきりと感じた事もあって、平和への想いは心の奥底へしまいこんでしまった。
 大学後半になって、民医連の医師や職員さんと話す機会を得た。私が長い間心の奥に抑え込んでいた「平和が大切、戦争はイヤ!」という言葉を、素直に言ってもいい場ができた、と思った。民医連の学生企画で、ある日、「憲法の話」を聞いた。私の中にあった「九条」が「憲法九条」になった瞬間であった。憲法を「法律のひとつ」としてしか認識していなかったことに気がついた。憲法の本当の価値がやっとわかったのだ。その瞬間、「はだしのゲン」や「悪魔の飽食」を読んだ時の気持ちがよみがえった。私の想いは、思考と感情が両立し、確信が加わったものとなった。私の心に、いぶし銀の光を放つ「憲法九条」が完成し、それを守るために行動しよう、と決心した。
 この数年、職場での「平和ジュースカンパ集め」が、私のメインの活動だ。冷たいジュースを安く買い込み職場で売る、というだけのことだが、結構なカンパになるし、平和に興味のない人にもちょっぴりアピールができる。
 家では、ベビーカーに乗って平和行進に参加していた娘が、祖母の手作り「9」ワッペンをかばんにつけて小学校に通うようになり、制服を着るようになった現在、きたがわてつさんの「日本国憲法前文」をテスト勉強のために聞いている。
 世代を超えて、憲法九条の理念は、確実に伝えられていると思う。

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