2007年9月15日

九条を守り、戦前への回帰を許すな

一宮市  佐野 正純
 1945年8月15日の夕餉。食卓の上はじゃが薯と南瓜の塩ゆでと胡瓜だけだが、灯火管制がなくなり明るい電灯の下なんと美味しく感じたことか。その上、今夜からは空襲もないのでゲートルを巻いて寝る必要もないし、明日から艦載機に襲われることもない。もの心がついてから続いてきた15年にわたる戦争が終った安堵と開放感は、今でも鮮明に脳裏に焼きついている。
昨日まで市民の行動を監視規制していた警察や警防団の干渉も無くなって、伸び伸びとした生活が始まると同時に、報道管制がなくなって世界の情勢を日々知るにつけ、いままでの大本営の発表が如何に虚偽と欺瞞に満ちたものであったかを痛感し、軍隊と言うものが国民にとって実に有害無益な存在であったことを身にしみて知った。
一面焼け野原で食住など暮しは厳しかったが、平和のありがたさを満喫するなかで民主的な新生日本を築こうと国民が日々頑張りながら、新しい憲法をと論議を繰り返して出来上がった主権在民の明記と思想信条の自由や社会福祉に基づく生存権の保障に加え、戦争と武力の行使を永久に放棄する第9条はまさに戦争で苦しんだ者にとって心の底から賛同できる条文であり、これがまた平和国家として驚異的な経済発展を可能にした所以でもある。
ところが戦争の悲惨さを全く知らない若い政治家どもが15年戦争を正しい行為とし、我々が汗を流して築き上げてきた戦後の体制を戦前に戻そうと国民保護法など国民を縛る法律を強行採決し、陸上自衛隊情報保全隊はかつての特高警察や憲兵のように違法にも国民の思想や行動を監視し、議員ならまだしも第99条で憲法尊重擁護の義務を負う総理大臣までが卒先して改憲を叫ぶこの国は狂っており、政財界でも表沙汰にならなければと脱法行為が横行しているのもむべなるかなとあきれるばかり。
いま政府が目の仇のように次々と重い負担をかけ生存が脅かされている我々高齢者こそ戦争のなんたるかを体験しており、今こそ孫子に9条守れ戦争反対の声を遺言としてひと際高く訴えるべきと思うが如何なものか。

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