被爆75年に向け核廃絶の運動を
協会は、「核戦争は健康と環境に対する最大の破壊であり、核戦争の予防に力を尽くすことが、患者の命と健康を守る医師の役割」であるとして、核兵器廃絶の運動に取り組んでいる。その一環として、毎年広島・長崎で開かれる原水爆禁止世界大会へ代表を派遣している。
今年も「核兵器のない平和で公正な世界のために」をテーマに原水爆禁止2019年世界大会国際会議が8月3~5日、広島大会が8月~6日、長崎大会が8月7~9日に、それぞれ開催された。協会からは、国際会議・広島大会に坂本龍雄勤務医委員、長崎大会に早川純午理事、事務局3人を派遣した。
今大会は、2020年の核不拡散条約(NPT)再検討会議、そして原爆投下75年の節目を前に「生きているうちに核兵器のない世界を」と願う被爆者の願い実現にむけ、市民社会と政府の共同をさらに発展させるための重要な大会となった。
7日の長崎大会開会総会では、22カ国から87人の海外代表を含め、5000人が参加した。議長団の安斎育郎氏が、「核兵器は非人道的であり使うべきではない。核兵器禁止条約は70カ国が署名、新たにボリビアが批准し条約発効に必要な半数の25カ国が批准した。日本は目を背けず、批准するべきだ。条約に記載されている義務を果たす様、声を上げていかなければならない」と草の根運動の必要性を訴え開会宣言とした。各国が署名、批准する中、日本政府は依然として反対の姿勢を崩していない。日本政府は唯一の戦争被爆国として核兵器禁止条約への署名、批准、未批准国への働きかけを行うよう求められている。
被爆者挨拶で田中重光氏(日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)代表)が、「原爆は人間らしく死ぬことも、生きることも奪った。日本政府は被爆者に対し、何の支援もせず更に被害者を増加させた。1965年日本被団協は『自らを救うとともに、人類の危機を救おう』と活動してきたが、今も核兵器はなくならない。唯一の被爆国として核兵器禁止条約に批准し、呼びかけるべきだ」と述べた。また、国内外の参加者から、ヒバクシャ国際署名や平和行進などの取り組み・アピール・訴えが行われた。
8日はフォーラム、分科会などが行われ、核兵器廃絶に向けた取り組みや被爆体験の継承など交流・学習した。
「核兵器と原発」の分科会では、安斎育郎氏による講演の後、各地の報告があった。原発事故被害を受けた福島の男性教職は「当時担任していた子どもたちは20歳になるが、まだ再会できていない。町に戻ってくるのは60代以上で若者が戻ってこない」と話し、同じ生活を取り戻すことはできないと訴えた。平和行進者の山田太枝氏は「NOといえない福井の人の代わりに」と声を上げている。不便な土地に原発が作られ仕事をもらったことで、住民は反対意見を言いづらくなってしまった。当事者の代わりに声を上げ続けたいと締めた。
参加者からは、核兵器と原発それぞれに対する運動の違いについて質問があり、核兵器禁止条約は原発に関して禁止していないこと、核ビジネスの問題点について討論が行われた。
9日の閉会総会で、被爆証言をした横山照子氏(長崎原爆被災者協議会副理事長)は被爆した妹が両目を失明し「なんの罰なの」と言った事が記憶に残っていると語り、「原爆の悲惨さを語り継いでいかなければならない、被爆者は長崎が最後の被爆地となる事を願っている」と語った。また、高校生平和大使代表の宝子山海(ほうしやま・うみ)さんは高校生署名が20万筆を超えた事を報告し、国連欧州本部に直接届けます、と述べた。
決議では、2020年は被爆75年、そしてNPT再検討会議が開かれる節目の年だとし、核兵器廃絶に向け諸国政府と草の根の運動の力を結集して、ヒバクシャ国際署名の運動を地域ぐるみで発展させ「核の傘」からの離脱、核兵器禁止条約の批准、被爆の実相・核兵器の非人道性の周知などを政府に求めていく事が採択され、幕を閉じた。