愛知県保険医協会の平和を求める取り組み

【10.07.05】NPT再検討会議・ニューヨーク行動報告(4)

我々の安全を保障する核兵器の数は“ゼロ”

 5月4日午前、「NPT再検討会議の成功をめざす反核医師の会のつどい」が、NYのSEIU支部会議室で30数人の参加で開かれた。
 つどいは山上先生(大阪)の司会で始まり、まずゲストのIPPNW元共同会長で、元全米公衆衛生学会長、元PSR代表でもあるサイデル氏がIPPNWとPSRを代表して話された。NPT6条は核兵器だけでなく、その他の軍縮の義務についても定めていること、国際司法裁判所が核軍縮に動くべきであるというあの判決後もほとんど進展がないことからも、この際検討会議の重要性が明らかであること、NPT再検討会議に向けて日本でたくさんの署名が集められたことは大きな意味を持っていること、保有国から核軍縮の動きは不十分であるが、アメリカではICANが中心となって運動をしていること、今回の再検討会議で大切なことは1945年に何が長崎・広島で起きたかを明確に認識し、再び繰り返してはいけないということを各国代表に認識させることであるとし、日本の運動と我々の運動が今後も共同して取り組むことが重要であると結ばれた。
 PSRニューヨーク支部長のキャシー・ファルボさんは、日本の被爆の影響を受けた人、実験場周辺での被曝の影響を受けた人が、その実情を各国首脳へ知らしめることが重要であると話された。
 IPPNWプログラムディレクターのジョン・ロレッツさんは、5年前広島、長崎を訪問しこの問題の重要性を改めて認識した。このNPT再検討会議には、IPPNW関係で10カ国くらいから30人ほどが参加しているのではないか。今回の会議の目標は2つ、1つは核戦争が起きたら地球はどうなるのかを明らかにすること、もう1つは核兵器の禁止を確立すること。たった1発の爆弾で広島・長崎に深刻な被害をもたらした。数1000発が使用されたら、「核の冬」が出現し、生物は死滅する。それを考えると、我々の安全を保証する核兵器の数は“ゼロ”なのだ。そこで今、IPPNWは法律家や科学者と協力して「核兵器禁止条約モデル案」を作り、その成立に向けて努力をしている。核廃絶への最大の障害は「核抑止論」である、オバマのプラハ演説は、核廃絶は述べたが一方で抑止力に言及している。これでは核兵器の温存を保証するものでしかない。日本にとって重要なことは、アメリカの拡大抑止論や核の傘に守られると言うことの意味をしっかり考えることである、核の傘は逆に射撃の標的のように攻撃の的になってしまうと言うことである、と話された。
 サイデル氏は最後にSEIU1199支部に伝わる炭鉱労働者が作った詩、組合の歌にもなっているものを披露された。「長い道も1歩1歩、石が落ちてくるが1つ1つはたいしたことはない。組合の下で1つ1つ取り除く。1人1人では何もできない、組合の力で」と。
 参加者の発言では、徳田先生から、「15年前仙台でサイデルさんにお会いした。お元気で活躍されていることに敬意を表したい。運動の継承は重要な課題で、何とか愛知でもそれができたのではないかと考えている」との発言があった。
 続いて、韓国NGOのキムさんのプレゼンがあり、NPOのピースデポでインターンをし、原爆のことはほとんど知らなかったが、被爆者の話を通訳し涙が出たこと、大学卒業後、平和ネットワークで仕事をするなかで、被爆者の10人に1人が韓国人であることなどを知った。韓国では、原爆が日本から韓国を救ったとの認識が強く、反核の運動はなかなか困難。韓国からはNYへは20人くらいが参加している。残念ながら、パン・ギムン国連事務総長の演説へも、韓国メデイアの取材はなかった。韓国へ帰って、また運動に頑張りたいと述べた。
 関連して、大阪の平林先生から、広島と長崎の原爆資料館の説明文に日本語と英語はあるが、ハングルと中国語がない、これを加えさせることも必要と発言。
 日本共産党の井上哲士議員も参加し、自身も被爆二世で、母親が広島で被爆していること、広島平和公園にサダコの像が完成した1958年5月5日が誕生日であることなどのエピソードを披露された。
 最後に松井事務局長から、内容の濃い集まりとなった、参加いただいた方、協力いただいた方に感謝したいとのまとめがあった。
(千種区 中川 武夫)

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