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【06.08.11】李啓充氏講演(後編)

「医療変革の時代を超えて」 -講演要旨-後編

8月11日(金)夜7時から、愛知県保険医協会と愛知県民主医療機関連合会の共催で、李啓充医師を招き「医療変革の時代を超えて」をテーマに講演会を開催した。講演要旨の後半をお伝えする。(文責事務局)

 2002年に、ヨーロッパとアメリカの内科学会が集まって作った医師憲章序言に「プロフェッショナリズムこそが医療と社会の契約の基礎である」と書かれている。医療と社会が約束事を作って医療を展開していく。そのとき医療のプロフェッショナリズムこそが基礎になる。このプロフェッショナリズムとは何かということで「患者の利益を最優先する」「医師としての能力と適性の育成と維持」「社会に対する専門家としての助言」「個々の医師および医師全体が社会から信頼されなければいけない」と書かれている。外的状況が厳しいからこそ、医師はプロフェッショナリズムについて再確認しなければいけない。
 憲章は三つの原則として「患者の利益追求」「患者の自律性」「社会正義」をあげているが、特に医療における不平等や差別を排除するために積極的に活動する社会的責任を強調している。これがこの憲章の一番目新しいところである。医師の義務は患者を診ているだけでは終わらない。社会や医療の形がおかしくなりそうであれば、医師はそれを阻止しなければいけない。不平等や差別を排除するために積極的に活動すべきということを言っている。
さらに十の責務が書かれており、具体的にその適用を見ていく。

責務の二: 患者に対して正直である責務

 インフォームド・コンセントは非常に重要なことで社会経済的圧力に対して戦うための大義名分になる。二つの例がある。一つは保険者機能の強化と称して、保険者が医療の内容に関与することを防ぐこと。インフォームド・コンセントとは患者と医療者が治療のゴールを共有し、そのための過程を決めるため話し合っていくプロセスを決めること。同意書にハンコを押させることや、知らしむべからずよらしむべしといった古い考え方でいると、コスト抑制がインセンティブになっている保険者を治療過程に介入させる隙を作ることになる。二番目は、コスト抑制のターゲットになっている高齢者の終末期医療。延命治療が必要かどうかは患者の自己決定権や家族の意志がまず尊重されるべきもの。財界が医療費の無駄と決め付けるようなことではない。インフォームド・コンセントをどのように高齢者の終末医療に生かしていくのかを考えるべきである。アメリカでは蘇生を求めないという意思表示「DNR」をどのように尊重するか、高齢者の意志をどのように忠実に反映する努力をしているかが課題とされ、誰も医療費が無駄だからという議論はしていない。

責務の五: 医療の質を向上させる責務

 医療の質を向上させるための対応は歴史に大きな隔たりがあり、日本が弱くアメリカが進んでいる。医療の質を良くするためどのような手段が良いか。医療の安全性は法律や規制で強制的にやらせるのが良く、たとえば院内感染の防止処置は診療報酬の加算点数や減算点数での誘導でなく、防止措置ができない病院は経営を認めないというぐらいの強制措置をとる。一方、医療のカスタマイズ、患者の要求に基づくもの、EBMによる医療など高級なところは経済的動機付けで行うのが良いとアメリカの科学アカデミーの報告がある。アメリカは医療の質を保障する社会の仕組みを整えている。一つ目が日本の医療機能評価機構のお手本になった組織、JCAHOが病院など医療施設の医療の質を監視する役割を担っている。日本ではボランタリーで手を挙げた医療機関だけ評価機構の審査を受けるが、アメリカでは審査を受けないと公的保険の指定医療機関になれない。さらに個々の医療者には州ごとにボード(Board of Registration)というものが用意されていて、これが免許の管理をしている。
 歴史の始まりはアーネスト・コドマンという人が最終結果制(End-result System)という制度(いまでいうアウトカムリサーチ)を1911年に始めた。病院の「効率」というのは治療的基準から判断されるべきで、「生産性」とは得られた収入ではなく患者の役に立つこと、治療に成功したか失敗したかで判断すべきというもの。1913年にコドマンが中心となってアメリカ外科学会に病院標準化委員会をつくり、1918年当時692の病院を調査し基準を満たしていたのは89病院、15%だった。いま日本で病院機能評価の審査を受けているのが15%ぐらいでアメリカの1918年の状況に日本があると思うと大変な隔たりがある。
 今アメリカでは医療の質を高めることが国策となっており、National Academy of Science、学術会議に相当する組織の附属組織としてInstitute of Medicineというのがあり、国策として医療の質を高める提言を行っている。一番目にまず政府が率先して医療の質を高める努力をする。公的医療保険を運営している支払い側として供給側に圧力をかけよ。二番目、政府は国立病院をもっている供給側として見本になること。三番目、政府は医療の質を高めるための研究にお金を出すというものである。

責務の六: 医療へのアクセスを向上させる責務

 ここで問題となるのが医療に市場原理を導入するとこのアクセスの平等性が崩れること。市場原理の何が問題かというと、所得格差による差別が起きて、お金がないと必要な医療にアクセスできなくなること。医療と他のビジネスとは質が違う。大型の液晶テレビがほしいがお金がないから買うのを諦めるというのは社会通念上許容される不自由inconvenienceである。けれどもお金がないから医療が受けられず死んでしまう、これは社会通念上許されないhardshipなので起こしてはいけない。市場原理が医療になじまないのは、そういうところが根本にある。
 混合診療もアクセスと言うことで問題になる。一つの症例がある。四十六歳男性がクモ膜下出血を起こした。手術を終えて命をとりとめたが、術後に脳血管攣縮という現象が一番の問題になる。欧米ではニモジピンを投薬すると発生率が三割から二割に減らせるので全例に投薬している。ところが日本ではこのニモジピンが保険薬価に収載されていない。もしニモジピンを使おうとなると、これは保険診療と自費診療との混合になるからできない。この患者の家族はニモジピンを使いたいと自費で取り寄せようとしたが、薬が届く前に脳血管攣縮が始まってしまい、患者は重い後遺症が残り社会復帰できない状態になってしまった。
 実はこの男性は私の弟で、こういった経験をした後、私が混合診療に賛成するようになったかというと、反対にますます混合診療はいけないと思うようになった。
 何故いけないのか、財力によりアクセスの不平等を容認する制度だから。ニモジピンという薬は四週間、総計256カプセル飲ませなければいけないが、もし患者の足下をみて一カプセル10万円という値段をつけたら2560万円用意できる人だけが恩恵に与れることになる。
 二番目に、保険薬価に収載され医薬品として認可されていると言うことは政府の審査を通っている、安全性があるというお墨付きがあるのだが、自由診療となっていかがわしい診療が横行すると、似非医療がたくさん横行するようなことになりかねない。
 三番目に医療保険本体が濫用される危険がある。たとえば肝障害が起きている患者が、美容形成手術を受けたいと言うことで入院する。本来は美容形成のための入院費用を保険で肩代わりしてしまうということまで起こりえる。
 四番目、保険医療が空洞化する危険。製薬会社は治験をするのに莫大なお金がかかる。治験をして審査を受けて薬価に収載されて始めて使用されるというのが保険診療の良いところだが、これを自由診療で全面解禁してしまうと保険薬価に収載するという手間暇を省くことが横行すると考えられる。効き目が良くて新しい薬はすべて自由診療、保険診療は古くて効き目が悪い薬ということになりかねない。
 そんなばかなことが起こるのかというと、1980年代に市場原理が医療に大々的に導入された中国で起きている。公立病院もすべて民間病院にかわり独立採算制になる。無保険者も増加し、公的保険も基礎的医療にしか適用されない。たとえば五歳の子供が白血病になる。白血病はちゃんと治療すれば八割の子供が助かる。子供が治療で入院する。親は入院の時に前金を要求される。親は家を売り借金をしてたくさん前金をいれるが、前金の中から治療費をとっていって、それが切れたところで治療が打ち切られる。混合診療が解禁になれば日本の医療も中国みたいなことになりかねない。
 混合診療導入を進める側の人は、国民がもっとさまざまな医療を受けたければ「健康保険はここまで」後は「自分でお払い下さい」という。金持ちでない人も高度医療を受けたければ家を売ってでも受ける選択をする人もいるだろう。これは規制改革・民間開放推進会議の議長でオリックスの宮内氏の発言だが、こういう発想で混合診療を進めようとしている。
 ニモジピンという薬がなぜ認可されていないか。欧米では脳血管障害手術後の脳血管攣縮の予防としてしか認可されていない薬だが、日本の製薬会社は全く関係のない認知症の薬として認可申請をめざした。クモ膜下出血の患者は年間1万5000千人ぐらい。何十万人という患者に毎日飲んでもらう薬として認可を取ろうとしたのだが、「脳代謝改善薬」の認可見直しの時期と重なったためいまだに日本では認可されていない。アメリカで認可されたのは1989年。年間1万5000人のうち一割は恩恵を受けられたとして、1500人かける17年、2万数千人もの人が犠牲になっている。
 似たような話は規制改革会議が混合診療は必要だと宣伝に使ったオキサリプラチンという大腸がんの治療薬でもある。ライバルの薬であるイリノテカンを開発した会社が日本でオキサリプラチンの販売権も取得した。別の会社が販売権を取得すれば認可の努力をするが、認可申請をしたのが販売権を得た七年後。この間社会ではオキサリプラチンが認可されていないから患者が困っている。混合診療を解禁しようとマスコミを通じた大キャンペーンをした。認可されていない事情には全く触れないで、混合診療が認められていないことがいけないという議論にすり替えられてしまった。エビデンスが明らかな診療行為についてはすべて保険診療に含めるのが本筋である。必要な治療が保険診療に含まれていないことが問題なのだ。
 アメリカの高齢者の公的医療保険では、個人の患者も保険外の治療を保険適用を認めるよう審査を請求することができ、限られた時間内に結論を出さなければいけないことになっている。民主的な形で保険適用を決める形が整えられている。日本には混合診療ではなく、そういった民主的に保険診療が運営できる制度が必要なのだ。

責務の七: 医療資源の適正配置についての責務

 医師には限られた医療資源を「コストエフェクティブネス(コスト効率)」に配慮して適正配置する義務がある。このコスト効率という議論が日本では決定的にかけている。日本で言われているのはよけいな金はいっさい使いたくないというコスト削減だけ。コスト効率という考え方は同じお金の使い方をするにしても生きた使い方をしたいという考え方である。
 カナダのオンタリオ州で転移してしまった非小細胞肺がんの治療に対してコスト効率を調べている。一年の延命効果の診療全体にどれだけ費用がかかったか、患者の治療への満足度はどうかを数値化して順位をつける。日本はかかった費用をもとに順番を付けるだろう。欧米では延命にかかるコストとの目安として腎透析のコストから歴史的に来ている費用で、延命一年に対して五万ドルという相場がある。他の病気の人に対しても公平に同じようにする立場で、その費用をかけた場合の一番効果のあった治療は何かということになると、順番が大きく入れ替わる。かかった費用だけで見たら二番だった抗ガン剤を使わないというものが最下位になり一番効果があがらないということになる。どれだけお金を使うかという基準を変えるだけで選択する治療の順番ががらっとかわる。これが本来のコスト効率の世界である。日本は医療費適正化ということで、公的給付の削減、抑制だけがいわれている。質を重視する立場から単なるコスト削減をめざすことよりもコスト効率の改善を目指すことが理にかなっている。さらに社会として病気の方に対してどれだけのコストを許容するかという基準を変えることで最適の治療方法の選択が変わる。

責務の九: 「利害の抵触」に適正に対処し信頼を維持する責務

 利害の抵触への対応が日本で一番弱い。利益誘導と言うが、職務についたものがその権限を持って自分の会社が儲かるよう政策を変えてしまう。研究領域で、自分が特許を持っている治療について自分が儲けられるようにデータを出してしまうということがアメリカでは大問題になるが日本では美談になる。大阪大学で遺伝子治療の特許を取った教授が、ベンチャービジネスまで作って遺伝子治療を普及させようとしていると朝日新聞の一面に載る。これを大阪の毎日新聞が利害の抵触に触れると社会面で問題とした。次の日に朝日新聞が経済面で、そんなことをいったら日本でベンチャービジネス企業は育たなくなるというインタビュー記事を載せて弁護した。医療の倫理よりもビジネスの論理の方が重要だと教授は話した。
 さらに、日本では国家の政策レベルで利害の抵触がまかり通っている。何年も前からオリックス会長の宮内氏が規制改革会議の議長をして、株式会社による病院経営を認めろと言っている。初代の総合規制改革会議の議長代理の飯田氏はセコムの最高経営責任者だ。オリックスとセコムが病院を買い占めて歩いていることは周知の事実になっている。自分たちの会社が儲かるようにこの国の医療を変えたいといっている。アメリカではあり得ないことで、利害の抵触となる人を政策立案する場所に置かない。規制改革したら誰でも自由に競争できるから、利権ではないという反論があるが、可能性が問題になるだけでもその立場に置いてはいけないという利害の抵触の原則から考えれば、はなからなりたたない弁解だ。

おわりに

 この憲章が2002年に出され、世界各国の多くの学会や医師の団体がこの憲章を推奨したが、日本ではほとんど取り沙汰されなかった。憲章に謳われている医療倫理の三原則は、じつは昔から言われている医療倫理の四原則にのっとっているのもので、患者の権利をどうやって保障するか、医療の質をどのように向上するか、公正な医療資源を配分するにはどうするべきかを考えるべきであるのに、日本では医療費の抑制とビジネスチャンスの創出しか大きな声になっていないことが非常に残念だ。

<資 料>
新ミレニアムにおける医療プロフェッショナリズム:医師憲章
<3つの根本原則>
(1)患者の利益追求:医師は,患者の利益を守ることを何よりも優先し,市場・社会・管理者からの圧力に屈してはならない。
(2)患者の自律性:医師は,患者の自己決定権を尊重し,「インフォームド・ディシジョン」が下せるように,患者をempowerしなければならない。
(3)社会正義:医師には,医療における不平等や差別を排除するために積極的に活動する社会的責任がある。
<プロフェッショナルとしての10の責務>
(1)プロとしての能力についての責務:個々の医師が生涯学習に励み,その能力・技能を維持するだけでなく,医師団体はすべての医師が例外なくその能力・適性を維持するための仕組みをつくらなければならない。
(2)患者に対して正直である責務:自らの意思で治療上の決定ができるよう患者をempowerするために,情報を正直に伝えなければならない。特に医療過誤については,患者に速やかに情報開示することが重要である。過誤を報告・分析する体制を整えることが,事故防止と被害救済の基礎となる。
(3)患者の秘密を守る責務:医療情報の電子化の進展,遺伝子診断の技術進歩が進む中,患者の秘密の厳守は特に重要である。
(4)患者との適切な関係を維持する責務:患者の弱い立場を悪用することがあってはならない。特に,性的・財政的に患者を搾取してはならない。
(5)医療の質を向上させる責務:医師及び医師団体は医療の質を恒常的に向上させる義務を負う。医療の質には,医療過誤防止・過剰診療抑制・アウトカムの最適化が含まれる。医師は,医療の質を計測する活動に積極的に参加する責任を負う。
(6)医療へのアクセスを向上させる責務:医師及び医師団体は医療へのアクセスの平等性を確保することに努めなければならない。患者の教育程度,法体制,財政状態,地理的条件,社会的差別などが,医療へのアクセスに影響してはならない。
(7)医療資源の適正配置についての責務:医師には,限られた医療資源を,「コスト・エフェクティブネス(コスト効率)」に配慮して,適正配置する義務がある。過剰診療は患者を無用な危険にさらすだけでなく,限られた医療資源を他の患者から奪うことにつながる。
(8)科学的知識についての責務:医師には,科学的知識を適切に使用するとともに,科学としての医学を進歩させる義務がある。
(9)「利害の抵触」に適正に対処し信頼を維持する責務:保険会社や製薬・医療機器企業などの営利企業との関係が,本来の職業的責務に影響する恐れがあることを認識するだけでなく,「利害の抵触」に関する情報を開示し,適切に対処する義務がある。特に研究・学会などで指導的立場にある人については,産業界との関わりを厳格に開示する必要がある。
(10)専門職に伴う責任を果たす責務:専門職に従事するものの責任として,職業全体の信頼を傷つけてはならない。お互いに協力することはもとより,専門職としての信頼を傷つけた医師には懲戒を加えることも必要である。

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